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イスタンブールU Istanbul
1453年、コンスタンチノープルを攻略したオスマントルコは、この地をイスタンブールと改称し、以後、東地中海世界の広大な支配者として君臨する。イスタンブールに現在も残るトルコ帝国の遺産は眩いばかりである。
ブルー モスク
17世紀の初め、オスマントルコ帝国最盛期のモスクで、スルタン
アフメット モスクが正式名称である。
ブルーモスクの名は、モスク内部の色調からきている。
6本立つ尖塔ミナレットについての挿話は、当時の帝国の力を物語るものであろう。
ブルーモスクからアヤソフィアへは歩いて僅か5〜6分である。この二つの壮大かつ美しいな建築遺産が、およそ1000年の年月を経過して建てられたと思うと、イスタンブールの持つ歴史の厚みをいやがうえにも感じるだろう。
スレイマニエ モスク
1529年、若きスルタン スレイマンは大軍を擁してオーストリア帝国の首都ウィーンを包囲する。16世紀は、欧州がトルコの侵攻に脅えた世紀であった。
壮麗大帝の別称を持つスレイマンは、イスタンブールに、建築家シナンの設計による壮大なモスクを造営する。
スレイマニエ モスクはイスタンブールの代表的イスラム建築といえるだろう。
オスマントルコ軍楽隊
トルコ軍の2度に渡ったウィーン包囲は、大軍とともに軍楽隊を伴っていた。彼らの用いたシンバルやティンパニーは、その後ウィーンのオーケストラで楽器として取り入れられる。
また、トルコ軍の進行に影響を受けた作曲家たちは、有名なトルコ行進曲を産み出すことになるのである。
現在もイスタンブールの軍事博物館では、伝統のトルコ軍楽隊のライブが行われている。トルコの軍楽隊は世界で最も歴史ある軍楽隊である。
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アンカラ カッパドキア ブルサ トロイ
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ベリーダンス
アラブの王宮で行われたベリーダンスは、その後イスラム宗主国トルコの王宮に伝わる。
ベリーダンスとはへそを出して舞う踊りのことで、小さな金属のカスタネットを指に、腰を激しく振り動かす。
イスタンブールのナイトクラブでは、ベリーダンスの妖艶なショウが今宵も未明まで続く。
観光ツアーに組み込まれている場合は、どうしても早い時間のショウを見ることになるが、深夜になるほど、魅力のダンサーが登場する傾向にあるようだ。
いずれにしても、現代版、スルタンの王宮といえよう。